インフレ禍 2016 12 10

「平和の配当とは、デフレである」

 だからこそ、インフレを過度に心配する必要はありません。
世界の平和が長期間続けば、世界はデフレになります。

 何度も書いていますが、
デフレというのは、「供給」に対して「需要」が少ない状態です。
 普通に考えれば、「需要」を増やすか、
「供給」を削るか、どちらかです。
 人類の歴史を振り返れば、
戦争によって「需給」を調整してきたのです。
 戦場になった国においては、
生産設備が破壊され、供給が減少し、
戦場にならなかった国においては、「戦争特需」がありました。
こうして、需要と供給が釣り合ってきたのです。
 そういうわけで、金融政策は、デフレ対策にはなりません。
もちろん、間接的な効果はあるでしょう。
 政府や中央銀行、あるいはマスコミが、
「金融政策は、デフレ対策になる」と言い続けることによって、
金融的な「プラシーボ効果」があります。

 NIKKEI NETのマネー&マーケットで、
岡田晃氏は、「1937年恐慌」のことを書いています。
 恐慌というと、1929年を連想しますが、
実は、1937年恐慌も、大いに問題があったのです。
(以下、引用)
 1933年に登場したフランクリン・ルーズベルト大統領が、
ニューディール政策でアメリカ経済を立て直したことは広く知られている。
 1933年までの4年間、
大幅なマイナス成長が続いていた実質国内総生産(GDP)は、
翌1934年からプラスに転じ、1937年まで景気回復が続いた。
 1933年に50ドル前後まで落ち込んでいたダウ工業株30種平均は、
1937年に190ドル台まで回復していた。
 そこでルーズベルト政権は、
ニューディール政策によって膨らんだ財政赤字を削減すべく、
増税に踏み切り、財政再建路線に転換した。
FRBも金融引き締めに転じた。
 だが、これは明らかに誤りだった。
景気は、再び急速に悪化し株価は暴落した。
 実質GDPは、翌1938年にマイナス成長へ逆戻りし、
ダウ平均は、1937年の戻り高値のおよそ半分の水準まで下がった。
 これは、1937年恐慌と呼ばれている。
それ以降、アメリカ経済の本格回復は、第2次世界大戦後まで待たねばならなかった。
(以上、引用)
 歴史に「if」はありません。
しかし、「アメリカに、1937年恐慌がなかったら」と考えざるを得ません。



















































































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